嵯峨大念佛狂言の「能を再発見する/寺社と能・清凉寺」と題する国立能楽堂3月企画公演が3/28(木)の夜に開催された。嵯峨大念佛狂言は「釈迦如来」を上演したが、その解説者として能舞台で15分ほど喋ってきた。
楽屋入りが早かったのでその辺をうろうろしていたら、紋付き袴姿のおそらくは地謡を担当する方に廊下ですれ違い様に平伏されて、こちらもあわててそこに座って頭を下げた。そちらの方々のそうした仕草は綺麗だし自然だった。かたちと中味が一体化していると思えた。
作法というが、作法はいろいろなところにある。展示の作法、メールの作法、運転の作法…. 道交法には触れないのだろうが、いわゆる危険な運転に遭遇することがよくある。そういう運転者は「作法」がなっていないのだ。これを「無作法」という。
美術品の制作にも「作法」がある。無作法な制作は児戯に等しい、ただのまねごとに過ぎない。